2011年9月25日のテレビ朝日「題名のない音楽会」では、クラシック音楽界最大のジンクスで知られている。「第九のジンクス」を取り上げていました。
※第九のジンクスとは、ベートーヴェン以降、交響曲第九番を書き終わると、亡くなるといわれています。
「第九のジンクス」は、いろいろと考えさせる内容でした。作曲家マーラーにとって、ベートーヴェンの第九番の“壁”(死ぬかもしれない恐れとマスターピースを作らなければならないプレッシャー)は、ベートーヴェン信奉者のマーラーにとって、とても悩ましい問題だったと痛いほど分かります。マーラーにとって、第九番目となる交響曲「大地の歌」には、敢えて番号を付けなかったのも頷けます。
第九番目の交響曲は、作曲家にとって、集大成の作品であり、精も根も尽き果てても、最高の作品を作曲しなければならないものなのでしょう。あのベートーヴェンの第九と同等以上の作品を作るとなると相当大変だと思います。
マーラーにとって第10番目となる作品、でも「第九番」と名付けた作品をもって、マーラーが亡くなってしまったのは皮肉な結果でした。
作曲家上がりの曲に第九番交響曲が用意されをり
おそらく、“第九番”とういう名には、何か神秘めいたものがあるような気がします。私は、ベートーヴェンの“第九番”にその神秘が存在していると思います。あの第九の交響曲は、日本人にとって、その年の締めくくりに聴く感覚がありますが、この現象は、日本だけに定着していると聞きます。いろいろな事情で、年末に演奏されることが多かった第九ですが、定着したのには、やはり日本人の感性がそれを求めていたからだと思います。それは、
“何かものごとが終わり、新たな始まり”
をこの第九から感じ取っていたのでしょう。おそらく、この第九は、“何かものごとが終わり、新たな始まり=新たなステージへみんなで行くための交響曲のような気がします。内容からそれはいえると思います。(ベートーヴェンにとって、新たな始まり=新たなステージとは何か。理想郷=天国だったのでしょうか?)そのことをなぜか日本人が一番認識して理解しているか不思議ですが、そう思います。
この番組は、日曜の朝のオンタイムで見ていますが、マーラーの交響曲第九番・第四楽章・アダージョが始まった瞬間に家の近くの電信柱に一羽のカラスが止まりカアと鳴き、演奏が終わったら、飛び立ったのです。いままで、日曜の朝に見ていてそういうことがなかったので、驚きました。私にとってカラスは、死のイメージがあります。やはり、マーラーの“第九番”にも、終わりのにおいをこのカラスは感じ取ったのでしょう。もっとも、この第九番は、「死」をテーマに作られているので、当然といえば当然ですが。特にこの第四楽章の最後の小節は、ドイツ語でersterbend(死に絶えるように)に書かれていますが、カラスもこのことを敏感に感じ取ったのでしょうか?
果たしてこの第九のジンクスは越せないのか、越した作曲家の一人にショスタコーヴィチがいます。ショスタコーヴィチは、第九番に重厚壮大な曲にしないで、敢えて軽妙洒脱にして、このジンクスを破ったそうです。第九番に重きを置かなかったのがよかったのかもしれません。
第九番越すに越せないジンクスをポンと越したるショスタコーヴィチ
何はともあれ、この年の暮れは、東日本大震災が起きた日本では、いままでの古い価値観が終わり、新たな価値観への幕開けになりそうです。大転換期の真っ只中の日本で、ベートーヴェンの第九を聴きながら、“新しい時代をめくりましょう!!”
第九聴き時代をめくる年の暮
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