2009.06.05

☆国宝 阿修羅展☆

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2009年6月4日(木)



上野の東京国立博物館で開催されている、「国宝 阿修羅展」へ兄と一緒に見にいきました。

今、話題が沸騰中の「国宝 阿修羅展」だけあり、ものすごい人、人、人で入るまで実に待ち時間80分という表示がまず目に飛び込んできました。覚悟をしていたので、別に驚くこともなく、黙々と阿修羅さまに逢うための列に並んでいました。刻一刻と阿修羅さまに逢えるときが近づくと思えば、苦にもならずに楽しいひとときでした。
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*後で分かったことなのですが、この日「平成館」始まって以来の25、342人の入場者数の新記録を達成しました。
その新記録に貢献できて、大変光栄です。証拠の写真です。
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並んでいて気が付いたのですが、並んでいる人々の顔が実にいい顔していたことが、とても印象に残りました。やはり、仏様を見に来ている人々は、<仏心>が全面に出ているので、いい顔になったのだと思いました。

何やかんやと、実際には約60分くらいで中に入れました。ラッキー!!



中に入ってから、直ぐにエスカレーターに上って行こうかなと思ったのですが、並び疲れていたので、右側で上映していた、「興福寺」紹介のビデオを座って見ることにしました。あとで分かったことですが、中で上映していたのと同じビデオでした。



会場の中に入っても、入り口の方は、人混みが動かずに、何も見ることができませんでした。なるべく遠くから、人混みを避ける感じで、ザーッと逆流して見たり、比較的空いている展示物を見るようにしました。



そして、いよいよ、阿修羅さまとはじめて、お逢いする瞬間のときが訪れました。

それはあまりにも急な感じの出来事でした。阿修羅さまを見にいくためのスロープを一歩一歩と上っていき、広場に出て、目の前の人が急に退いた時、不意をつかれる感じで、私の目の前に突如姿を現しました。



私の阿修羅さまと初対面の印象は、



<不意をつく、一瞬の衝撃!!>でした。



阿修羅さまと分かって見にいっていても、あれほど衝撃的に私の心を揺さぶるとは夢にも思いませんでした。テレビで何度も見ていても、写真で何度見ていても、

生の阿修羅さまは、とてつもなく、仏さまでした!!

目の前に本物がある!!

そのすごさは、実際に生で見なければ、分からないことが今回よく分かりました。

百聞は一見にしかず!!



もし、私が阿修羅さまのキャッチフレーズを考えるとすれば、



不意をつく 一瞬の衝撃に あなたは恐れをなす・・・



です。



阿修羅さまをじっくりと拝みながら、いくつかお願い事をしてきました。

ただじっと、いつまでも阿修羅さまを眺めていたい。そんな気持ちでしばし阿修羅さまをベランダで眺めていました。

それにしても、阿修羅さまを中心にして、壇ノ浦の渦潮のように時計回りに人々がのみこまれていく姿は圧巻でした。



そこで一句、



渦潮の真っ直中の阿修羅像



その渦潮に飛び込む勇気がなかなかなく、阿修羅さまをただベランダでじっくり見ていました。ただずーっとそうしているわけにもいかないので、意を決してその渦に飛び込んでいきました。しかし、渦潮の浪があまりにもすごくてはじけ飛ばされてしまい。阿修羅さまを目の前で見ることを断念しました。ああ~残念でした。

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阿修羅展の帰りになんと<阿修羅猫>と遭遇しました。阿修羅猫とは、阿修羅展の帰りに出逢った猫のことをいいます。私が考えました。この阿修羅猫は、野良猫であり、決して飼い猫ではいけません。この阿修羅猫と出逢えたら、何かとてもいいことが起こること請け合いです!!!だって、あの阿修羅さまにお逢いした後に猫に逢うということは、滅多にないことだからです。上野駅の直前の横断歩道を渡る前にその幸運の猫が目の前にすーっと横切りました。その猫を写真に収めようと努力したのですが、なかなかうまく撮れませんでした。
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やはり幸運の猫は,正体をなかなかつかませてくれません!!



阿修羅猫で一句、詠んでみました。



阿修羅猫出逢ふ幸運夏の月



まだまだ間に合う、阿修羅展。

九州での展示会のご案内です。

 2009年7月14日(火)~9月27日(日) 九州国立博物館で、国宝阿修羅展が開かれます。



続いて、里帰りとして、

 2009年10月17日(土)~11月23日(月・祝) 奈良の興福寺で、お堂でみる阿修羅が開かれます。

おみやげにいくつかグッズを買いました。
クリアファイルと、絵はがきです。

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2009.03.18

☆サッカー報道写真展・東京日本橋三越本店☆

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2009年3月17日火曜日

東京日本橋三越本店に行って来ました。
そこで、「サッカー報道写真展~国際大会『キリンカップサッカー』にみる日本サッカーの歴史と2010年へむけての日本代表~」が、17日のこの日から、3月22日まで開かれています。(入場無料)その記念として日本サッカー協会名誉会長の川淵三郎氏の講演があり、それを聴きに行ったのです。

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平日の夜にもかかわらず、沢山の人々が集まって、瞬く間に席は一杯になりました。立ち見が出るほどの大盛況でした
幸いなことに、私は写真をじっくり見るためにかなり早めに行ったので、かろうじて席に座って見ることが出来ました。

特別講演会のタイトルは、「Dream 夢があるから強くなる」です。
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講演の中身は、いままでのキリンカップの歴史30年を振り返りながら、進化し続けて行った日本代表の足跡を雄弁に語っていました。
講演の中で、こんなクイズもありました。
第一回のキリンカップ1978年から2009年までの30年間で、どれくらいの監督がいたのか、会場にいた人に問いかけたのです。私は分からなかったので答えませんでしたが、ある人が「30人!」と答えました。この答えは、残念ながらはずれで、
<答えは、15人です。>※但し岡田監督は重複しています。

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このキリンカップの監督経験者は、大体日本代表の監督をしているそうです。ただ川淵さん自身は、日本代表の監督の経験があるのですが、このキリンカップでは監督の経験がなかったそうです。

このキリンカップこそ、監督・選手にとって一つの試金石だったのです。いかに価値のある大会か分かる話でした。

キリンカップが始まった1970年代は、サッカーはあまり人気の競技ではなく、マスメディア関係の報道は、一部の報道機関を除いてほとんど報道されることがなかったそうです。また、日本代表を招集しても、その当時の選手は、ほとんど日本代表に行きたがらないほどだったそうです。それには、ちゃんとした理由があり、それは、その当時の日本代表は、試合に出ればほとんど負けていて、出る価値を見いだしにくい時代だったからです。

その低迷するサッカー界に、旋風を起こしたのが、カズやラモスたちだったのです。
このカズとラモスが出た、1991年のキリンカップで、はじめて日本代表が3勝して優勝したそうです。
これらの人たちの活躍と1993年にスタートしたJリーグが、日本代表が躍進的に飛躍させていったのです。

特にカズの貢献がものすごいもので、川淵さんは、大絶賛していて、印象に残った話を二つほどしていました。ある時、カズ選手自身が、相手のタックルを受けて負傷した部分を洋服をめくって見せてくれたことがあり、その体全体にドス黒い打撲の痛々しい感じは、忘れることが出来ないそうです。
もう一つは、フランス大会で日本代表を落ちた時の態度で、一切いいわけをしなかったこと。これは、なかなか出来ないことで、その人間性の大きさは、後のサッカー選手が見習うべきと私は思いました。

川淵さんは、カズは、「日本の宝だ!」とベタ褒めしていました。

その時のカズのコメント、「僕の夢はフランスに置いてきた。」は、夢を追い求めて行った開拓者の強い思いを感じさせます。そして、夢を持つことでこれだけ強くなれることを物語る話だと思いました。残念ながら、カズの夢は、叶うことが出来なかったのですが、大きな夢を持って、頑張ることの大切さを教えられました。例え、その夢が叶わなくても、その過程で得られる物は、その人自身を強くさせて、その人自身を成長させるものだなとつくづく思いました。だからこそ、<夢>を持つことが大切なのです。
夢を持つことで、人生をより豊かで、実りの多いものにするからです。
私は、ノーベル賞の小柴昌俊氏の「『いつかこれができたらいいな』という将来の目標の卵を持つといいですよ」といっていたことと同じだなと思いました。

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まだまだ、いろいろ書きたいこともありますが、最後に、今一番気になる、今後の日本代表について、2010年W杯へ向けて8試合あり、日本は、5勝2敗1引き分けで勝つと予想していました。

可能性を信じて、頑張ることで、無限の可能性が開けて行く。

福島県猪苗代町の「野口英世記念館」に、野口博士のロボットがあり、その野口博士ロボットが、「頑張れば、夢は叶う!」と。

きっと2010年のW杯に日本は、行けることでしょう。
その前に3月28日(土)の日本代表vsバーレーン代表で、しっかりと応援することが私たちに求められています。頑張れ!!日本代表!!

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*講演会終了後の様子

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*講演終了後に配られたサッカーミュージアムの招待券です

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2008.12.13

☆Merry Christmas And A Happy New year!☆

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皆さんもよいお年をお迎え下さい!

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2008.10.25

☆「日本代表VSウズベキスタン代表」戦の試合を振り返る☆

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2008年10月15日(水)、この日、埼玉スタジアム2○○2で、FIFAワールドカップアジア最終予選の第2戦「日本代表VSウズベキスタン代表」の試合が行われた。
この日の試合は、ホーム初戦とあって、大勢のサポーターが集まった。
その数に実に55,142人だった!
この大勢の声援もあって、なんとか相手に先制点を取られたもののドローで試合は終わった。
本当は勝ちたかった試合だったが、とりあえず負けなかったのでよしとする。
しかし、このドローは、ホーム初戦としては珍しいことである。
日本がW杯予選のホームで勝てなかったのは、1997年10月のフランス大会最終予選のアラブ首長国連邦戦に引き分けて以来だからだ。
それだけ、W杯予選の試合は、どれ一つ簡単な試合がないことが分かる。

私は、この日、埼玉スタジアム2○○2で、2002年の日韓W杯でボランティアをした人々を中心にした、サッカーのボランティアとして、大会運営の一人として参加していた。
ボランティアをする前には、全体ミーティングがあり、今回の大会ついての説明があり、身につけているものに若干の注意があった。
スポンサーサイドの関係で、某メーカーのA社のマークのついているものは、まずいのでなるべく目立たないようにすること。場合によっては、ガムテープで隠すとのこと。
靴は、目立たないので構わない。そういった注意事項だった。
そして、大会運営の成功を握る、笑顔と元気で業務について下さいと言われた。
ボランティアの携わる場所での印象が、サッカー全体のイメージにつながるので、気を引き締めて配置につく。

今回は、主に観客の人を、席に案内する業務だった。
いかに、迅速に席のある場所を的確に案内するのが、この業務のポイントである。
開場前には、念入りに席の配置を頭にたたき込んで、それこそ、メモに席の番号を書いて必死に覚えた。また、近くの場所に何があるのかの把握を頭に入れる。喫煙場所、トイレ、救護所などである。
二人で配置場所につくのだが、二人で大体NHKホールの約半分の1500人くらいの人を案内するので、これがなかなか大変なのである。
一人一人を丁重に案内していると、次々とサポーターが押し寄せてくるので、間に合わない。そんなジレンマを抱えながら、迅速に案内に努めた。特にキックオフの前後が一番忙しい時間帯で、それこそ、次々とチケットを差し出されて、それらに対応しなければならなかった。試合が始まると大声援に案内の声がかき消されるので、大きな声で、それこそ身振り手振りで案内をした。
すべてのサポーターの方が、席の位置を聞くわけではないので助かる部分もあるが、あまりの忙しさを見て聞くことが出来なかったかも知れないが・・・。
これは一番忙しい時間帯のことであるが、開場間もない暇な時間帯では、写真を取り合っている人に声をかけて、写真を撮って差し上げたりとサービスに努めた。
試合終了後間際では、シミズオクトの人に(※シミズオクトとは、大会を支えている会社。そこのアルバイトの人に)、紙の応援フラッグの回収を手伝って欲しいと言われて協力をした。そして、サポーターの方を見送りつつ、「ただいま応援フラッグを回収していますので、ご協力をお願いしまーす!」と声をかけながら、箱には、まばらながらその応援フラッグが入って来た。中には、沢山の応援フラッグを手渡してくれた人もいた。おそらく、この人は、周辺に散らばって落ちてた応援フラッグを自主的に回収して、渡してくれたと思われる。ちょっとしたボランティアで、偉いサポーターの方であると感心した。
だいぶサポーターの方々も帰ったので、そろそろボランティアの解散時間となった。大体試合終了後約一時間くらいである。
ほぼ一日、立ちっぱなしだったので、終わったあとはくたくたである。
毎度、毎度のことであるが、覚悟をして行っていても、やはり、疲れがどっと体にくる。
今更ながら、体力のなさを実感するが、これも日本代表のサッカーのためと割り切る。
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*ちなみに、マンション手前に写っているバスが、メディアバスです。昼間撮影


帰りは、行きと同じ、「メディアバス」に乗せてもらって、浦和美園駅まで送ってもらった。(※メディアバスは、本来メディア関係者が乗るためのバスだが、特別にボランティアの人も乗っていいことになっている。)

バスが発車するまで時間があり、しばらく停車していたところ、運転手さんに「もう、すぐ発車しますか?」と乗車口で聞く人がいて、運転手さんは「まもなく、発車します。」と答えていた。
バスもその頃はかなり混んでいて、私が来たときと違って座ることは出来ずに、立っている人がかなりいた。
私が来たときも、ちらほらとしか席が空いていない状態だった。その中で、前の方の席では、運転手の真後ろか、乗ってすぐの右側の席、前から2番目の席が空いていた。
どっちにしようかと迷いつつ、何となく運転手の真後ろの席に座った。
いつもバスを乗るときは、滅多に運転手の真後ろに座らない私だったが、他が空いていなかったこともあり、座ることになった。

それがあっと驚く展開になったのである。
なんと、まもなく発車すると聞いて、すぐ乗り込んできた5、6人の中に、BSファン倶楽部にコラムを寄せていた、NHKの町田右アナウンサーがいたのである。
こんなところで、あの2002年のW杯以来、実に6年ぶりに会うとは、思いもよらなかった。(※2002年のW杯当時、私は、メディアサービスのボランティアをしていたので)
他には、望月啓太アナウンサーもいた。あとの人は、デスク、あるいは、ディレクターなのかと思った。
たまたま、運転手さんの真後ろに座ったので、乗ってくる人の顔がすぐに分かった。
世にも奇妙な、不思議な出来事である。今まで、数々とメディアバスに乗ってきたが、NHKの方とは一度もお見かけしたことはなかった。
町田アナウンサーの顔色をパッと見たところ、少々お疲れ気味だったので、席を譲ろうかと思ったが、私自身も疲れていたので、譲るほどの体力がもはや残っておらず、心の中で詫びながら譲るのをやめた。本来メディアバスは、メディアの方のバスなので、ボランティアがのほほんと座っているのもどうかと思ったが、アメリカ公民権運動のローザ・パークスの時代ではないので、そのまま座ることにした。
その上、一人だけに譲るのも、変に思われるし、女の人に譲られるのも、どうかと思ったからだ。
私も、大会運営側の一人なので、声をかけることもなく、ただ見守っていた。

しかし、後々にこの町田アナウンサーらに、私自身が間接的に助けられることになる。
それも本人たちが知らぬ間にである。
それは、バスが浦和美園駅に着いてからのことであった。

バスは、埼玉スタジアム2○○2から、浦和美園駅まで、いつもなら大体10分もかからないのだが、その日は、ホーム初戦とあって、ものすごい渋滞をしていて、約40分くらいかかって到着した。

駅前の入り口から、中のロータリーまで行くまで、約10分くらいかかった程で、浦和美園駅前は、タクシー、その他の車で大混雑をしていた。その上、サポーターの方もまだ大勢いてごった返していた。

バスが着いてから、一斉に降りて、皆一目散に駅へ向かった。時は既に午後10時45分すぎであった。
この時に、町田アナウンサーらに間接的に助けられたのである。駅に入るまでの道のりがいろいろとあり、サポーターが大勢並んでいるところと、エレベーターのところがまず私の目に入った。
私は、最初、エレベーターのところから、行こうとしたのだが、ふと町田アナウンサーらに目がいくと、違う方向に行くのが目に入った。あっち側は、確か閉鎖されていると思いこんでいた私だったが、ひょっとしてと思い、後を付けて行くことにした。
やはり、閉鎖はされていなかった。この分、時間をロスすることなく、スムーズに駅の構内に入ることが出来たのであった。あのエレベーターも、かなりの人がいたので、もしあのまま並んで乗っていたら、かなり時間をロスしたと思われる。

本当に、助かった。地獄で仏に会うとは、まさにこのことと実感した。
町田アナウンサー、本当にありがとうございました!!
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*問題の入口は、ちなみにこの入口です。昼間撮影


構内で帰り際の写真を撮らしてもらいました。
あくまでも、このときは、一視聴者として撮影。
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*慌てて撮ったので、ピンぼけしています。

そこで一首、

人混みに紛れて帰る男たち

日本代表の中継終えて

本当にお仕事お疲れ様でした!!
 
そして、辺り見回して見て、印象に残ることがあった。
人混みでごった返す中で、駅員が懸命に誘導していた姿が目に焼き付いた。
試合終了しても、まだ大勢のサポーターの方で、混み合う構内で、乗客の安全を第一にロープ規制や、スピーカーで誘導していたからだ。
いつもの混み具合では、なかったので、いつ何があってもおかしくないと感じるほどの混み具合の中である。
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*混み合う改札前


そこで一首、

駅員は声張り上げて誘導す

彼ら駅員の日本代表


そうこうしているうちに何とか、改札を通ることが出来た。その頃には、あまりの混雑にNHKの方を見失う。
また、そこから、プラットホームまでの道のりも、すごい人なので行くのが大変だったが、人に押される感じで、一番後ろの階段で何とか、プラットホームに行くことが出来た。
プラットホームに行くと、右手に最終の日吉行きが停車していたが、かなりの混みが具合だったので乗るのをやめて、次の列車を待つことにした。

*そこでの写真。
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また、そこでも、慌ててかけ出して、駅員が誘導していた姿を見たり、列車が入ってくるときにも、「皆さん、柵から手や顔出さない下さーい!」とアナウンスが連呼されていた。
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*写真は、階段に、プラットホームに降りきれずに待つ人々。一番後ろの方です。

そこで一首、

乗客の安全のため駅員は

一人一人が獅子奮迅す

本当に、浦和美園駅の駅員は、仕事とはいえ、頑張っていたとつくづく思った。
大会関係者の一人として、頭が下がる。そして、感謝の気持ちでいっぱいになる。

そして、午後11時13分の白金高輪行きに何とか乗ること出来て、その上、一番前に並んでいたので座ることが出来た。
この列車に乗っていても、印象的なことが次々に起きた。
子供を抱えた、女の人が私の隣の席に一端座ったのだが、何を思ったか再び立ち上がり、次の駅で開く扉の方に行ったのであった。おそらく、あまりの混雑なので、子供連れなので降りられないことを懸念しての母親としての行動と思われる。
確かに、私の隣に座った女性の方も、次で降りられるかなと不安の様子だった。
それだけ混み合う車内だった。私の人生の上で、これだけの超満員列車は、はじめての経験である。
さらに、発車寸前に、何とか乗り込もうとする男の人がいて、車内から「おじさん、もう無理だよ!」と声が上がった。結局、その男の人は、乗車することは出来なかった。
これだけ、超満員列車の車内は、クーラーがガンガン効いていても、人の熱気で蒸し風呂状態だった。

次の、東川口駅で半数以上がどっと降りて、ようやく普通の混み具合の列車となった。
ある男の人が、思わずため息混じりの声として、「あのままどうなるかと思った。」と胸をなで下ろしていた。
また、私の前に立っていた男性も、かなりの疲れた様子で、何度か手に持っていた鞄を落としては拾ったりしていて、しがみつく感じで手すりにぶら下がっていた。
「なかなか席が、空かないなあ~」と愚痴もこぼしていた。
私も、先ほどから、書いているとおり、バタンキュー状態なので、とても席を譲っている場合ではなかった。

おそらく、会社帰りで、日本代表を懸命に応援していて、あの混雑で大の男の人でも、くたくたになったのであろう。そう思うとなんともいえない気持ちになった。

私と前の人とは、偶然にも同じ駅で降りた。
私は、そこから、違う列車に乗って、何とか親戚の家に泊まることが出来た。
終電がなくなる約50分前であった。

こんな思いで、サポーターの方々が帰ったので、今度の11月19日のアウェーでのカタール戦では、何が何でも勝って欲しいと願わずにいられない。

厳しいカタール戦ですが、皆さんの応援が力になります。
あなたの声援が、日本代表をアシストします。
どうか引き続き、今後とも変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。

絶対に勝ち点3を目指して、我らは日本代表は、カタール戦(ドーハ)へ旅立つでことでしょう。
いってらっしゃい、勝つために!!

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2008.09.28

☆てぇーへんだぁー、「双方向クイズ にっぽん力」たった1人の全国1位!☆

2008年9月27日(土)22時~24時
NHK「双方向クイズ にっぽん力」東京スペシャルに、
久しぶりに参加してみたところ、
なんと、たった1人の全国1位に輝きました!

とっても嬉しいです。\(^-^)/バンザーイ、/( )\モヒトツ\(^o^)/バンザーイ

私の母が、麹町出身の江戸っ子なので、何問かは、すぐに分かりました。
今回のクイズは、『東京』出身のものがいる人にとっては、とってもラッキーな問題でした。
今日出掛け先で、三毛猫が母と兄の前に横切ったそうです。
何かいいことあるのかなぁーと思ったところ、このことだったのだと思いました。

やはり、幸運の招き猫はいたのです。
皆さんも猫を可愛がって、幸運を手に入れて下さいね。

↓証拠の写真です↓
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2008.09.21

☆今日、我が家に堀尾正明さんが来ました!但し、新聞紙面で・・・(笑)☆

朝、何気なく、朝日新聞を見ていると、堀尾正明さんの大きなグラビアの記事が、目に飛び込んで来ました。

(be on Sunday)のズームアップのところに取り上げられていました。
ご覧の通りです。

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既に「堀尾正明アナウンサー情報」でお知らせしている。今後のレギュラー番組のことや、NHKと民放との違い、そして、「肉体通して伝える魅力」のことなどが記事に書かれていました。※詳しくは、朝日新聞(be on Sunday)2008年9月21日をご覧下さい。

今年の3月にNHKを退職してから、華麗なるフリーアナウンサーへの道に確実に歩を進めている堀尾正明さん。今後の活躍ぶりから目が離せなくなりました。

<レギュラー番組の出演情報>

10月4日より、毎週土曜日 午前5時30分~8時30分
TBSラジオ「土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!」


10月4日より、毎週土曜・日曜 夜11時55分~
日本テレビ系「「江川・堀尾のSUPERうるぐす」

10月5日より、毎週日曜 午前9時55分~
日本テレビ系 「誰だって波瀾爆笑」

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2008.08.29

◇雷や水も滴る熊谷駅◇

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*2008年8月29日の夜、たまたま熊谷駅を降りたところ、無数のバケツがコンコースに置いてありました。

28日から29日にかけての、局地的な豪雨の影響が、こんなところにも。


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*2008年8月29日、鴻巣のショッピングセンターで買い物の途中、突然あたりが真っ暗になりました。ショッピングセンターは、非常灯だけになり、辺りが騒然となりました。雷がショッピングセンターに直撃したらしいです。しばらく経ってから、電気は普及致しました。でも、ショッピングセンターの上空には、まだ雷雲があり、いつまた停電するか分からないので、エスカレーターと、エレベーターが乗れなくなりました。写真は、その時のものです。

鴻巣には、ちなみに、雷電神社があります。いかに、この地域が昔から雷が多いことが分かります

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2008.07.12

宮本隆治アナウンサー 出版記念講演会&サイン会

宮本隆治アナウンサー 出版記念講演会&サイン会

7月12日

三省堂書店 神保町本店




宮本隆治アナウンサー、初のサイン会で、

「上がってはいないが、緊張している」と仰っていました。

講演の内容も、とても楽しく、和気藹々と終わりました。

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6月21日発売

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2008.07.03

あついぞ!熊谷

JR熊谷駅に、暑さ対策のスプリンクラーが設置されました。









なおざね商店街の幟です




地元の百貨店「八木橋」の玄関には、


名物の温度計が設置されました。

今年の目盛りは50度まで対応してます。


熊谷うちわ祭りも間近


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2008.06.02

★「長沼健さん・追悼」

日本サッカー協会最高顧問の長沼健さんがお亡くなりになりました。享年77歳。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
長沼さんは、元日本サッカー協会会長や、埼玉スタジアム2○○2場長などをはじめ、数々の役職に就いていました。
2002年の日韓W杯開催の折、世界30ヶ国を回り、(約地球19周)、W杯誘致に向けて多大な貢献をした方です。私もその際、W杯のメディアのボランティアとして、参加していました。
もし、長沼さんの貢献がなければ、おそらくW杯の誘致は出来なかったと思います。
そして、史上初の日韓共同開催のW杯の大成功もなかったでしょう。
奇しくも亡くなった日は、6月2日。
その日は、日本A代表にとっては、絶対に負けられない試合、ワールドカップ南アフリカ大会アジア3次予選でした。日本代表は、長沼氏の死を悼み、腕に喪章を巻いて、試合に臨み、3対0で見事オマーンに勝ちました。最後の方では、日産スタジアムにかなりの雨が降り注いでいて、まるで長沼さんの死を悼んで泣いているかのように見えました。
試合終了後の岡田武史監督はインタビューで、長沼さんの死について触れ、「長沼さんも喜んでくれていると思う」と語っていました。

私は、2003年3月9日、埼玉スタジアム2○○2のサッカー講座「サッカーは楽しい!これからがキックオフ」で会ったことがあります。
とても控えめで、紳士的な人と感じました。

日本のサッカーの一時代を築いた人の早すぎる死を惜しみます。
これからも長沼さんのDNAは、日本のサッカーに残っていくことでしょう。

そして、サッカー講座のタイトル通り、
「サッカーは楽しい!これからがキックオフ」。

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母・澄子(談)
「長沼さんの思い出としては、2003年3月9日、埼玉スタジアム2○○2のサッカー講座「サッカーは楽しい!これからがキックオフ」で会ったことがあり、サッカー場で記念写真を撮る際、私と娘(美佳)とご一緒に撮ったことがあります。
記念写真を撮る際に、長沼さんは、私たちを真ん中にして、長沼さん自身は、端のほうに立って写真を撮りました。
その時、温かみのある、温厚な人柄だと感じました。お亡くなりになり、とても残念です。ご冥福を心からお祈り申し上げます。」

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